海外で起業してみたい。そう思いながらも、実際にどんな道のりを歩んだ人がいるのか、具体的なイメージが湧かない方は多いのではないでしょうか。海外起業の成功事例というと、若くして立ち上げた華やかなスタートアップやSNSでバズったビジネスをイメージしがちですが、現実はもっと地道な積み上げの連続であることがほとんどです。
この記事では、パリに35年在住し、一人商社という形で事業を営んできた青木さんの実体験を紹介します。日本語教師としてフランスに渡ったところから始まり、フリーランスの何でも屋、BtoBの一人商社、そして年商1億円へ。青木さんの35年の歩みには、一人でも海外で事業を築いていくための具体的なステップが詰まっています。
目次
※本記事で紹介する内容・実績は青木さん個人の体験に基づくものであり、同様の成果を保証するものではありません。
1. パリ在住35年、青木さんの起業ヒストリー

日本語教師としてパリに渡る
青木さんがフランスに渡ったのは、学生時代の旅行でパリに惹かれたことがきっかけでした。ビザもワーホリの制度もなかった時代、リサーチを重ねて見つけたのが、フランスの高校で日本語講師を探しているという話でした。校長先生の家にホームステイをしながら、その対価として大学の授業料を出してもらう。物々交換のような形で、パリでの生活が始まりました。
「日本語を教えれば生きていけるかな、というぐらいの軽い気持ちでした」と青木さんは振り返ります。「特に日本語の先生になろうという強い意志を持ってきたわけではないんです」。強い目的意識を持って渡仏したわけではなく、目的があまりないまま来てしまった。この率直さが、青木さんの起業ヒストリーを理解するうえでの出発点になります。
転機は、生徒たちの反応でした。生徒たちが知りたがったのは、日本語そのものよりも日本の文化。漫画やアニメ、当時流行っていたファッションについて聞かれても、答えられませんでした。「生徒たちが聞いてくるのは、漫画やアニメの話。私が全然わかっていないことを聞かれて、答えられなかった。それが悔しくて」。この悔しさが、日本の最新情報にアンテナを張り続けるきっかけになりました。起業の種は、こうした意外なところに落ちていることがあります。
フリーランスの「何でも屋」時代
日本語教師として生計を立てる傍ら、青木さんは輸出の手伝い、イベント会社でのリサーチ、広告代理店の業務、医療機関の事務まで、目の前にある仕事を何でも引き受けるようになります。「何でも屋さんにはなっていたと思います」。
華やかな起業家像とは程遠い、地道な積み上げの日々でした。日本の商品をハンドキャリーでフランスに持ち込み、現地の店に紹介する。売れれば次の依頼が来る。この繰り返しを、青木さんは30年近く続けてきました。特別な資本も、明確な事業計画もない状態からのスタートです。それでも一つひとつのニーズに応え続けた結果が、現在の一人商社としての青木さんにつながっています。海外起業というと最初から大きな戦略を描くイメージがありますが、青木さんの起業ヒストリーは、目の前の仕事を積み重ねることの価値を教えてくれます。
2. 一人商社というビジネスモデル

ハンドキャリーから始まった物販
青木さんのビジネスの原点は、日本の職人が作った商品をフランスで売ってみたいという、ごく個人的な思いつきでした。京都に足を運んで職人と知り合い、その商品をフランスで販売する。当時はまだインターネット通販の黎明期で、ドロップシッピングの仕組みを使って商品を直送する形を試しました。
反応の良さに手応えを得た青木さんは、次にイベントに個人で出展し、十品ほどの商品を持ち込んで自ら売り歩くようになります。「ハンドキャリングで持ってきて売るなんて、今では考えられないですけど」と本人も笑って振り返るほど、当時は身一つで動いていました。この地道な現場経験の積み重ねが、後のビジネスの土台になっていきます。
一人商社とは、個人が貿易・コンサルティング・マーケティングを一手に引き受けるビジネスモデルです。大きな組織を構えるのではなく、自分自身のネットワークと知見だけで動く。特別な資格や大きな資本がなくても、現地で信頼を積み上げていけば、個人でも貿易の担い手になれる。青木さんの歩みは、そのことを体現しています。
企業からの依頼が来る転換点
転換点になったのは、フランスのインテリアショップが青木さんの持ち込んだ商品に興味を示し、取り扱いを打診してきたことでした。個人客向けの販売から、店舗との継続的な取引へ。この積み重ねの延長線上で、今度は日本企業から「フランスに進出したいので手伝ってほしい」という依頼が来るようになります。「自分から営業したことはなくて」と青木さんは言います。紹介と実績の積み重ねだけで、依頼が向こうからやってくる状態が出来上がっていきました。
フランスに進出したい日本企業にとって、現地の言語・文化・市場を理解し、日本語でもやり取りができる人材は貴重な存在です。青木さんが持っていたのは、特別な学歴や資格ではなく「パリにいる」という事実そのものでした。現地にいることそのものを価値に変えられるかどうか。これは、自分で稼ぐ力を身につけて海外に出ようとする人にとって、大切な気づきです。特別なスキルがなくても、現地にいるという事実を積み重ねの中で価値に変えていくことができます。
3. BtoBで年商1億円に至るまで

企業向けビジネスが軌道に乗った理由
海外起業というと、個人客を相手にするBtoCのビジネスをイメージする方が多いかもしれません。しかし青木さんのケースは、企業を相手にするBtoBから始まりました。個人客を対象にするビジネスは、いきなり大きな舞台で戦うようなもので難易度が高くなりがちです。一方で企業を相手にするビジネスは、まず小さな取引から信頼を積み上げ、徐々に規模を広げていくことができます。
企業には「投資によって売上が上がる見込みがあるなら、対価を支払う」という明確なロジックがあります。青木さんの場合、日本企業のフランス進出を支援するコンサルティング、物販の代行、現地でのマーケティング支援がビジネスの柱になりました。動線設計、販路開拓、営業、その後のアフターケアまで、企業から求められる範囲を一手に引き受けてきたことが、事業を軌道に乗せた理由です。海外起業は華やかな個人向けビジネスだけではなく、企業を相手にする堅実な積み上げからも成立する。この事実は、あまり語られることがありません。
「パリにいること」が最大の価値になった
35年という時間の中で、青木さんの最大の強みになったのは「日本とフランスの真ん中にいること」でした。「私の強みは、その真ん中にいることなんです。日本とフランスをちょうど俯瞰できる」。両方の良いところも悪いところも見え、冷静に判断できる立場にいる。この俯瞰した視点は、日本企業にとってもフランスのバイヤーにとっても価値のあるものでした。
フランスのバイヤーとの関係、現地市場への理解、言語力。これらは一朝一夕で身につくものではなく、35年という時間をかけて積み上がってきたものです。では、BtoBビジネスの始め方についてさらに詳しく解説しています。ゆっくりと時間をかけて積み上げた先に、自分にしかできない仕事が生まれる。青木さんの歩みは、その一つの実例です。
4. 35年続けて分かったリスクと現実

貸し倒れ15年で10回の経験
成功事例として紹介される青木さんの歩みですが、そこには当然リスクも伴っています。物販ビジネスでは、企業から依頼を受けて商品を手配する際、自分の資金を先に出して仕入れる必要があります。「15年やっているうちで10回は貸し倒れがありました。今も裁判中の案件があります」。取引先の倒産などによって支払いが行われないケースが、これまでに何度もあったといいます。
生々しい数字ですが、青木さんはこれを恐怖として語るのではなく、事業を続けていくうえで向き合うべき現実として受け止めています。では、海外でビジネスを行う際に直面しやすいリスクについてさらに詳しく解説しています。リスクがあること自体は避けられません。大切なのは、そのリスクをどこまでコントロールできるかという視点を持ち続けることです。
売上の停滞と事業転換の決断
ここ数年、青木さんの事業には売上の停滞という壁もありました。円安の影響もあり、フランスに進出する日本企業自体が減少し、取り扱っていた商品も売れるものと売れなくなるものが二極化していきます。収入が不安定になり、一人で事業を続けているからこそ、相談できる相手がいないという孤独もありました。
一人で事業を続けていると、自分が積み上げてきた強みそのものに気づけなくなってしまう。
「個人だと自分のことが見えなくなるって、全員あると思いますよ」
青木さんもまさにこの状態にあり、売上が下がるたびに自信を失いかけていたといいます。しかし、この苦しい停滞期があったからこそ、次の大きな転換につながっていくことになります。
5. BtoCへの多角化で事業が加速した

棚卸しから見えた新しい可能性
売上の停滞に悩んでいた時期、青木さんが相談をしてくれました。今後どうしていきたいのか、お金が欲しいのか、パリに住み続けたいのか、日本に帰りたいのかを整理する棚卸しを行いました。「自分のポジションがどこにあるのか、本当にわからなかったんです。どこに立っていいかわからなくて」。
棚卸しを通じて自分の立ち位置を言語化したことで見えてきたのが、BtoCという新しい方向でした。それまで企業ばかりに目を向けていて、個人の起業家を支援するという市場には気づいていなかったといいます。試しにインスタグラムで発信を始めてみると、状況は一変しました。「相談がいっぱいきて、契約がぽんぽんと決まって。これでいけるのかな、と思いました」。フランスで何かを始めたい個人事業家を支援するニーズが、そこには確かに存在していたのです。ジュエリーショップのコンサルティングなど、月商300万円規模の案件も動き始めました。こうした事業の多角化は、海外起業のロードマップにおいて重要なステップのひとつです。
BtoB×BtoCの相乗効果
興味深いのは、BtoCを始めたことで、停滞していたBtoBの事業までもが回復していったことです。ビジネスの相乗効果によって、企業向けの仕事も、個人向けの仕事も、両方が同時に伸びていく。年商1億円という数字は、この相乗効果の先に到達したものでした。
年齢を重ねるにつれて、青木さんはBtoCの仕事に特別なやりがいを感じるようになったといいます。「BtoBは本当にドライなところがあります。でもBtoCは、お客様が頼ってくださって、達成感がすごくあるんです」。事業をどう伸ばすかという判断も、最終的には自分の心が満たされるかどうかが基準になっていく。青木さんが描く今後の展望は、二年後にフランスと日本の二拠点生活に移ることです。「二年後には、フランスと日本の二拠点生活に移したいなと思っています」。収益が安定してきたからこそ、住む場所の自由度を上げるという選択肢が現実味を帯びてきます。
6. 海外起業で成功するために大切なこと

最善パターンと最悪パターンを考える
35年の実体験から青木さんが語るアドバイスは、シンプルながら重みがあります。「理想だけを見てしまうと、挫ける時があると思います。現実とのギャップを受け入れて、適応していく。最善パターンと最悪パターンは必ず考えるようにしています」。
理想と現実のギャップを受け入れる柔軟性と、予期せぬ事態にも対応できる適応力。これは、35年間現場で事業を続けてきた人だからこそ言える言葉です。
一人で考え続けるフェーズを抜ける
情報はすでに十分に集まっているのに、なかなか決断できずに時間だけが過ぎていく。そうした状態を打破するには、誰かに背中を押してもらうプロセスが欠かせない。
「一人で考えるのは十分です。決めるフェーズに行って、背中を押すプロセスが必要」
「AIは答えみたいなことは言ってくれるけど、決断の背中を押してくれないわけですよ」。データや情報を集めるだけなら一人でもできますが、実際に一歩を踏み出すという決断は、実際にやっている人から学ぶことでしか前に進まないことが多いものです。急ぐ必要はありませんが、止まり続けてもいけません。正しい方向に、正しい一歩を踏み出すこと。これが、青木さんの35年の歩みから見えてくる、海外起業で成功するための本質です。
まとめ|海外起業の成功事例に学ぶ、積み上げの先にある景色
青木さんの35年の軌跡は、日本語教師からフリーランス、一人商社、BtoB、そしてBtoCへの多角化という段階的な積み上げの物語でした。派手なスタートアップではなく、目の前のニーズに応え続けた結果としての年商1億円です。
海外起業の成功の鍵は3つに整理できます。現地にいること自体を価値に変えること。個人客ではなく企業を相手にするBtoBから始めること。そして一人で抱え込まず、相談できる相手を持つこと。リスクや停滞期は、事業を続けていれば必ず訪れます。そのときに柔軟に対応し、自分のポジションを言語化し直せるかどうかが、次のステージへ進めるかどうかの分岐点になります。
海外起業は、正しい方向に一歩を踏み出し、積み上げ続けた人だけが見える景色があります。
青木さんの話は、YouTubeでも公開しています。
記事では書ききれなかった具体的なエピソードや
参加者とのリアルなQ&Aも収録。
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