移住体験談

子ども3人でオランダ教育移住|国際協力コンサルタントが年商8桁を達成するまで

子どもが学校に行けなくなったとき、「この国の教育が合っていないのかもしれない」と感じたことはないでしょうか。頑張って学校に連れて行っても、また翌朝には玄関に立ちすくんでいる。その繰り返しの中で、親は何かを変えなければという気持ちと、でも何を変えればいいのかわからないという焦りの間で揺れます。

今回ご紹介する今井さんは、子ども3人の登校拒否をきっかけにオランダ教育移住を決断された方です。国際協力コンサルタントとして20年のキャリアを持ちながら、日蘭条約ビザで2021年にオランダへ移住。既存のスキルを軸に事業を再構築し、年商8桁を達成するまでの実話を受講生の体験記としてまとめました。

今回の体験者

今井さん

今井さん

国際協力コンサルタント20年(アフリカ専門)。子ども3人の登校拒否をきっかけにオランダ教育移住を決意し、2021年8月に日蘭条約ビザで渡蘭。当時、子どもたちは小6・小2・年長。現地校に通い始めた子どもたちは見違えるように変わり、土居さんとのコンサルティングで既存のスキルを軸に事業を再構築。年商8桁を達成し、永住権に向けた市民化試験にも挑戦中。

オランダの朝は、日本にいた頃と体の重さが違います。これは私がオランダ教育移住を果たしてから実感したことです。朝起きて、やっていないことが頭に浮かんでも「まあ、なんとかなるかな」と思えるようになりました。日本にいた頃は、目が覚めた瞬間から頭の中でアプリが何十個も立ち上がっているような感覚でした。あれしなきゃ、これしなきゃ、あれが終わっていない。その繰り返しの13年間でした。

子ども3人と一緒にオランダに来て、もうすぐ5年になります。国際協力コンサルタントのキャリアを20年積んできた私が、どうしてオランダ教育移住を選んだのか、そしてその先で何が起きたのかをお話しします。

1. オランダ教育移住の前に立っていた場所|13年間のワンオペ育児と子どもの登校拒否

家にいる女性

オランダ教育移住を果たした私ですが、数年前はまったく違う場所に立っていました。

国際協力コンサルタントとして、アフリカを中心に活動してきました。国際機関が発注する調査業務を受注し、現地に入って調査を行い、報告書をまとめる。専門性の高い仕事です。2002年頃にはイギリスに留学し、スキポール空港を経由してアフリカへの出張を繰り返してきました。気づけば20回以上、オランダ経由で乗り換えをしていました。

でも当時の私には、そんなキャリアの話をする余裕はありませんでした。3人の子どもを自分で育てながら、13年間、ほぼ毎日立ちっぱなしで家事と仕事をこなし続けていました。子どもが帰ってきてから夜10時半まで、座ることはほとんどなかったと思います。

変化が訪れたのは、真ん中の子が「学校に行きたくない」と言い始めたときでした。最初は2日だけ休ませました。でも「もっと休みたい」という気持ちが積み重なり、そのうち全然学校に行かなくなってしまいました。上の子も4時間目か5時間目にならないと学校に行けない、登校しぶりの状態が続いていました。

子どもたちがなぜそうなってしまったのか、当時の私にはわかりませんでした。子ども本人も「何が嫌なのか自分でもわからない」という状態で、原因を探ることもできなかった。ただ毎日、どうしたものかと考え続けていました。

それと並行して、仕事のことも頭の片隅にありました。20年間やってきた国際協力コンサルタントの仕事に、少しずつ「これでいいのだろうか」という気持ちが出てきていました。ユーロが円に対してどんどん強くなる中、円で稼いでいる自分の事業は、このままでは厳しい。案件数を増やすか、事業の高度化を図るか。答えは出ないまま時間が過ぎていきました。

そのとき気づいたことがあります。子どもたちにはたくさんお金をかけてきたのに、自分自身には何もしてこなかったということです。習い事、塾、環境を整えること。でも自分への投資は後回しにしてきた。稼ぐ力を整えることが、子どもの未来を変える力にもなる。その考えに行き着くまでには、もう少し時間が必要でした。

2. オランダ教育移住への転機|コロナ禍で子どもが生き生きし始めた日

外遊びする子供たち

この教育移住体験談の転機は、意外にもコロナ禍でした。

ラオスに出張していた私は、「明日出国しないともう帰れなくなる」という知らせを受けて急いで帰国しました。ロックダウンのような状態になり、習い事も塾も、子どもたちの外出先がすべてなくなりました。

ところが子どもたちが、すごい生き生きし始めたのです。

それまで学校に行けなかった子が、学校のない生活では元気に動き回っていました。宿題もない、時間割もない、習い事もない。親がせっせとスケジュールを埋め、「今日の宿題やった?」「音読した?」「漢字練習した?」とチェックしていたものが、すべて消えた。すると子どもたちが、見たことのない顔で笑っていました。

このとき直感しました。日本の教育制度が、この子たちに合っていないのかもしれない。

もともと、海外で子育てをしたいという気持ちはありました。国際協力の仕事柄、子どもを連れて海外に来る同僚やカウンターパートたちをたくさん見てきました。海外で育つ子どもたちはわちゃわちゃしていて、席についていなかったり、自由で、日本では問題行動と見なされるようなことでも普通に受け入れられています。そういう環境が、この子たちには合っているんじゃないか、と感じていたのです。

「心が喜ぶ国を選べ」という考え方があります。税金でも物価でもなく、子どもが生き生きできる場所で国を選ぶ。私のオランダ教育移住の原点は、まさにここにありました。

次に、どこへ行くかを調べました。私はリサーチャーです。国際協力の仕事でも、調べて、根拠を積み上げて、報告書を書くことが仕事でした。その習性が発動しました。調べる中で、オランダの教育が非常に良いという情報に行き当たりました。そして日蘭条約の存在を知りました。日本とオランダの間には、日本人が個人事業主としてオランダで起業・居住できるビザルートがあるのです。

オランダとの縁も感じました。スキポール空港での乗り換えは20回以上。留学時の帰国便もオランダ経由でした。アフリカから戻るとき、オランダに降り立つと「やっと安定した国に帰ってきた」という感覚があったのを覚えています。オランダって、私の人生のどこかにずっとあった場所だと思いました。

知り合いからも「オランダに住んでいる人がいるよ」という情報がポンポン集まってきました。縁があるな、ここにしよう、という感覚で決断しました。

※ビザ要件・申請手続きは変更になる場合があります。最新情報はオランダ入国管理局(IND)公式サイトまたは専門家にご確認ください。

3. オランダ教育移住の設計|20年のキャリアを「事業の軸」にするまで

アムステルダムの運河

オランダ教育移住を具体的に設計し始めたとき、最初にぶつかったのは「何で稼ぐか」という問題でした。

Instagramで土居さんを見つけたのはこの頃でした。副業や起業の情報が流れてくる中で、土居さんの個別面談を受けてから決めようと思い、コンサルティングをお願いしました。

私はウェブマーケティングで起業したいと伝えました。ゼロから発信する方向で進もうと思っていたのです。

土居さんの提案は、少し意外なものでした。

「国際協力のスキルの方が20年あるから、こっちを軸にまず事業を組み立てて、そこからウェブマーケの要素を足していく方がいいんじゃないですか」

すぐに新しいことを始めたかった私には、少しもやっとする言葉でした。「まず1年ぐらいは足元を固める働き方を模索しましょう」と言われ、焦る気持ちもありました。

でも今になって思えば、これが核心をついていました。

ウェブマーケティングを否定されたわけではありません。順番の話でした。20年積み上げてきた専門性をいきなり手放してゼロからウェブマーケだけで立ち上げるより、まず自分の強みを軸に事業を作り、そこにマーケティングの視点を加えていく方が、再現性が圧倒的に高い。土居さん自身がウェブマーケティングを軸に活動している人だからこそ、「既存のスキルにウェブマーケを掛け合わせる」という発想が最初に出てきたのだと思います。

自分のスキルを活かしてどう派生させていくか。ゼロから始めることだけが起業ではない。

国際協力の専門性を軸に、そこにウェブマーケティングの視点を加えていく方向で設計が決まりました。既存のスキルの活用と、新しい可能性の組み合わせ。焦らず、地道に積み上げる道筋です。

2021年8月、子ども3人——当時小6、小2、年長——を連れてオランダへ移住しました。1年以上かけて準備をした渡蘭でした。

この章で気づいたことがあります。オランダ教育移住は、子どもの環境を変えることだけではありませんでした。親自身のキャリアをどう再設計するか、という問いでもあったのです。子どもが動ける環境を整えるために、親が雇用でなく自分の力で稼ぐ体制を作る必要がある。雇われていたら、住む場所は自分では選べません。起業しているからこそ、子どもが育ちやすい国を選べる。

4. オランダ教育移住のリアル|子ども3人の現地校生活と親の変化

子どもの教育イメージ

オランダでの子育て移住生活は、日本とはまったく違うリズムで始まりました。

まず驚いたのは、学校の宿題の少なさです。オランダは宿題がないことで知られていますが、上の子の学年になると週に1回提出物がある程度。それも「やっているのかやっていないのかよくわからない」という感じで、私はほとんど関与しませんでした。

日本にいた頃は、宿題・音読・漢字練習のチェック、保育園のお迎え、習い事の送り迎えと、毎日タスクをこなしていくことで精一杯でした。オランダに来てからは、そのチェックリスト自体がなくなりました。最初は不安でした。でも、なくなっても子どもはちゃんと育っていきました。

オランダの学校は、一見するとゆるく見えます。先生はタトゥーがあったりラフな格好で、日本の先生とは雰囲気が違います。でも子どものことをよく見ていて、しっかり大学院の学位を持った専門家です。親に内緒でIQテストのようなものを行い、子どもの地頭の良さを科学的に評価している。見ていないようで見ていて、見ているようで見ていないような、そういう絶妙なバランスがあります。

そして転機が訪れました。

日本で登校拒否だった真ん中の子が、現地校に通い始めました。上の子は難関私立校を受験しました。スコアだけでなく、ボランティアや面接など複数の評価軸がある試験で、自分で決めて、自分で準備して、合格してきました。「え、なんかそんなに勉強してたっけ」というぐらい、自分の力で道を切り開いていた。日本で4時間目からしか学校に行けなかった子が、です。

子どもたちの変化を見ながら、私自身も変わっていました。

朝起きて体の重さが違う、というのが一番わかりやすい表現です。日本にいた頃は、頭の中でアプリが何十個も立ち上がっていて、やっていないことを常に意識していました。オランダでは、朝起きてやっていないことがあっても「まあ、なんとかなるかな」と思えるようになりました。

自己決定という感覚です。遅れても、オランダ人は全方向に向けて「申し訳ありません」と頭を下げることをしません。タクシーで行こう、ギリギリで行こう、それで済む。そういう文化の中にいると、自分の時間を自分でコントロールしているという実感が生まれます。

仕事の面でも、変化が出てきました。オランダを拠点に、国際協力の案件が入り始めました。場所に縛られない形で、アフリカの仕事が継続できることがわかってきたのです。

雇用ではなく、自分で起業しているからこそ、子どもの教育移住が実現できました。雇われていたら、住む場所は勤務先が決めます。でも自分の事業があれば、子どもに合った場所を選べる。これが、教育移住と事業構築を同時に進める意味だと思っています。

永住権に向けた市民化試験(Inburgeringsexamen)にも取り組んでいます。試験は「読む・聞く・話す・書く・オランダに関する基礎知識」の5科目で構成されており、現在3科目に合格しました。残り2科目をクリアすれば、永住権の申請が見えてきます。

※市民化試験の要件・科目は変更になる場合があります。最新情報はオランダ政府公式サイト(inburgeren.nl)等でご確認ください。

5. オランダ教育移住のその先へ|年商8桁と永住権、そしてアフリカへの夢

窓辺でノートパソコンを使う女性

オランダ教育移住は、私にとってゴールではありません。

土居さんに「1年足元を固めましょう」と言われて、じりじりしながらも国際協力の軸を守り続けました。その間、自分の働き方を整えて、ブランディングをどう作るかを考えていきました。案件を丁寧に仕上げ、信頼を積み重ねていきました。

転機は「1月から3月はウェブマーケティングをやる」と自分の中で決めた年のことでした。年末までに終わる案件を受注しようと動き始めたところ、コートジボワールとパレスチナの2件が取れました。私はどちらかというと紛争地への出張は少ない専門家でしたが、タイミングよく獲得できた。

そして売上が、予定した通りに出ました。しかも過去最高でした。

何か新しいことを始めたわけではありません。腹が据わったというか、自分の中で方向が決まったことで、動きが変わったのだと思います。年商8桁の規模に届くところまで来ました。

ただし、これは短期間で一気に積み上げたものではありません。20年のスキルを土台に、地道に積み上げてきた結果です。土居さんのコンサルティングを受けてからも、「すぐ結果を出す」ではなく「ゆっくり確実に」という方向で進んできました。海外移住と事業構築を同時に行う場合、焦ることが一番危険です。土台をしっかり固めてから、次のステップへ。

教育移住は子どもの未来のためだけでなく、親自身の人生を再設計するチャンスでもあります。

これから先の夢もあります。

20年間、アフリカの国際開発に携わってきました。その中でずっと関わってきたアフリカの企業家たちに、英語でウェブマーケティングを教えたいという気持ちがあります。国際協力のスキルに、マーケティングの視点を加えて、その力をアフリカの人たちに届けたい。ゼロから教えるのではなく、私が20年かけて培った信頼関係と専門性を活かした、自分にしかできない仕事です。

オランダ移住が教えてくれたことは、「海外に行けば何かが変わる」ではなく、「自分の軸を持って動けば、場所はどこでも選べる」ということでした。

13年間のワンオペ育児。子どもたちの登校拒否。自分への投資を後回しにし続けた年月。それを経て、オランダへ来て、子どもたちが現地校で伸び伸びと育ち、自分の事業が過去最高の年商を記録し、永住権まであと2科目。

移住はゴールではなく、家族全員の人生が広がる出発点でした。

まとめ

私のオランダ教育移住体験から学んだことを、3つにまとめます。

学び①|教育移住の決断は、子どもの変化がきっかけでも親自身の人生の再設計でもある

教育移住と聞くと「子どものため」と思いがちですが、私の体験で分かったのは、親自身のキャリアと稼ぐ力を整えることが、子どもに合った環境を選ぶための土台になるということです。雇用であれば住む場所は選べません。起業しているからこそ、子どもが育ちやすい国を選べました。子どものためと親自身のためが、切り離せない形でつながっています。

学び②|新しいスキルをゼロから積むより、いまある専門性を事業の軸にする方が再現性が高い

ウェブマーケティングで起業したいと思っていた私に、土居さんは「まず20年の専門性を軸にしましょう」と提案してくれました。最初は葛藤しましたが、既存のスキルを土台にした方が、はるかに再現性が高かった。すでに持っているスキルをどう海外で活かすか、どう高度化するか。ゼロから立ち上げることだけが起業ではありません。

学び③|教育移住はゴールでなく、家族全員の人生が広がる出発点になる

年商8桁を達成した今も、私の目はアフリカの企業家たちへのウェブマーケティング支援という次のステップに向いています。移住して落ち着いた、ではなく、移住がひとつの出発点となって、その先に新しい挑戦が広がっていく。子どもたちも、私自身も、移住後の方が世界が広がっています。

子どもの教育環境を変えたいと感じたとき、まず親自身が稼ぐ力を整えることで道は開けます。今の自分のスキルを活かして、住む場所を自分で選べる状態を作ること。オランダ教育移住の実現は、そこから始まります。

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