オランダに住みたい。花が好きな人なら、一度は思ったことがあるかもしれません。花の国として知られるオランダの中でも、アムステルダムは運河と市場と文化が共存する特別な街です。でも「アムステルダム移住」と聞いて、「自分には関係のない話だ」と思ってしまう方も多いのではないでしょうか。当メディアでは、海外移住を実現した方々の一次体験を通じて、そのリアルと可能性をお伝えしています。
今回は、「ヨーロッパに住むのは選ばれし者のすること」と長年思い込んでいた石原さんが、日蘭条約を活用し、フラワーアーティストとしての経験を事業の核に据えて、9ヶ月で家族でのアムステルダム移住に踏み出した体験記をまとめました。「海外移住は会社の転勤がないと無理」という思い込みを覆した、石原さんの実話です。
今回の体験者
石原さん
日本で会社員としてフラワーアーティストの活動を続けながら、「いつかオランダに住みたい」という夢を長年持ち続けていた。2024年夏に土居さんのコンサルティングを開始し、花の経験を事業として再定義。約9ヶ月でご主人とともにアムステルダムへ渡り、現地で新生活の準備を進めている。
いまアムステルダムで家探しをしています。
こう書くと、まるで自分の話ではないような気がします。ヨーロッパに住むなんて選ばれし者のすることだと、ずっとそう思っていたから。でも今、夫と一緒に、アムステルダムの街を歩きながら「ここに住もうか」という話をしている。現実がまだ信じられないような、そんな感覚があります。
これは私の、アムステルダム移住の体験談です。
「海外移住は会社の転勤でしか行けない」と信じていた私が、どうやってここに来たのかを正直に書きます。読んでくださった方が「もしかしたら自分にも叶えられるかもしれない」と感じてもらえたら、それが一番うれしいことです。
目次
1. 「転勤でしか海外には行けない」と思っていた私

アムステルダム移住を実現した今ですが、少し前の自分はまったく違う場所に立っていました。
私はずっと、海外に住みたいと思っていました。正確に言うと、オランダに。花の仕事に関わるようになってから、花の国と呼ばれるオランダへの憧れは年々強くなっていきました。アムステルダムの街並みのことを調べては、「いつか住んでみたい」という気持ちを胸の中に積み上げていた。
でも、それは「夢」であって「計画」ではありませんでした。
なぜなら、私には「海外移住は会社の異動で行くもの」という思い込みがあったからです。海外に住む日本人を見れば、会社の赴任か、グローバル企業に就職しているか。「自分で選んで、自分の仕事を持って、好きな国に住む」というイメージが、まったく自分の中にありませんでした。
ヨーロッパに住むのなんてまるで選ばれし者みたいなイメージがあった。それは私だけでなく、夫も同じでした。夫は以前スイスに住んでいた経験があって、海外生活の雰囲気は知っている。でも「自分の意志で選んで住む」という発想にはならなかったと言います。
夫の会社に海外赴任の可能性がないわけではない。でも、そのチャンスが来るかどうかは自分たちには決められない。「いつか転勤で行けるかも」と待ち続けるか、「難しいから諦める」かの二択しか見えていなかった。
それでもオランダへの気持ちは消えなかった。花の国で暮らしたいという願いが、ずっと心の中にありました。
「海外移住は転勤しかない」という思い込みこそ、最初に崩さなければならない壁だったのです。
その思い込みを崩してくれたのが、土居さんとの出会いでした。でもそれは、もう少し後の話です。
2. 花の国オランダで学んだ記憶

そもそも私がオランダに惹かれた理由の一つは、花にあります。
フラワーアーティストとして活動する中で、オランダは花の世界における特別な場所でした。世界最大の花卉市場があり、チューリップをはじめとする花の産地として知られる。フラワーアーティストとして深く学ぼうとすれば、自然とオランダという国に辿り着きます。
私はそのオランダで、花の勉強をした経験がありました。どのくらいの期間かは省きますが、現地で花を学んだそのときの記憶が、「いつかここに住みたい」という気持ちの原点になっていました。
ずっとオランダに住みたいなって願い続けていただけだった。具体的な手段や計画があったわけではなく、ただ「いつか」という気持ちを大切に持ち続けていた。それが正直なところです。
日蘭条約という制度の存在は知っていました。日本とオランダの間には友好通商航海条約(いわゆる日蘭条約)があり、個人事業主として申請できる特別なルートがある。オランダが好きで、オランダに縁がある人の間では知られている話です。
でも知っていることと、できることは違う。
「自分にも日蘭条約でビザが取れる」とは、思えなかったのです。海外でビザを取って起業するというのは、自分にはとても難しいことのように感じていた。フラワーアーティストとしての経験があっても、それが「海外で通用する事業」になるとは想像できなかった。知識としてはあっても、自信がなかった。
そのギャップが、長い間「願い続けるだけ」という状態を続かせていました。
日蘭条約(日蘭友好通商航海条約)とは
日本とオランダの間に締結された条約で、両国の国民が相手国において個人事業主として活動できる特別なルートが設けられています。日本人がオランダで個人事業を行う場合、この条約を根拠に申請できる可能性があります。要件の詳細や最新の運用については、オランダ大使館または専門家(移住コンサルタント・弁護士等)にご確認ください。
※本記事の内容は私の体験に基づく情報です。ビザ要件は変更になる場合がありますので、最新の正確な情報は公式機関や専門家へご確認ください。
3. 「あなたの中にチャンスの目がある」と言われた日

アムステルダム移住を実現するきっかけは、土居さんのことを知ったことでした。
土居さんのコンサルティングのことを知って、話を聞いてみました。「もしかしたら私にも叶えられるかもしれない」と感じたのは、土居さんが語る「ヨーロッパ移住の具体的な道筋」でした。自分が聞いていた「転勤か、グローバル企業就職か」とは全然違う。自分で事業を持てば、自分で住む場所を選べる。その可能性が、初めてリアルに見えた瞬間でした。
入会を迷った理由の一つは「海外でビザを取って起業するのはすごく難しいことだと思っていた」という感覚でした。日蘭条約は知っていたけれど、「それが自分にできるか」という自信がなかった。でも土居さんとの話の中で、その感覚が変わっていきました。
私の中のチャンスの目を見つけていただいて、自分でもいける自信になった。それが一番大きかったと思います。
土居さんは私の話を聞きながら、私の中にある「チャンスの目」を見つけてくれました。フラワーアーティストとしてオランダで花を学んだ経験。その専門性が誰かの役に立てるという可能性。「今まで私の力で役に立てることって、花を束ねることだけかな」と思っていた私の見方が、変わった瞬間でした。
自分の経験が、事業の核になる。その気づきが、私をアムステルダム移住へと動かした原動力になっていきます。
好きなことと得意なことが重なる場所に、事業の核がある。
「あなたには無理だ」ではなく、「あなたの中にすでにあるチャンスを一緒に見つける」。私にとって、それはフラワーアーティストとしての積み重ねでした。
POINT|「どうすれば行けるか」ではなく「あなたの中の何で行けるか」
アムステルダム移住のポイントは、新しい何かを身につけることではありませんでした。私がすでに持っていた「花の専門性」を事業として再定義すること。そこに日蘭条約というルートが重なって、移住への道が開けました。
4. 花の仕事を事業として再定義する9ヶ月

2024年8月に土居さんのコンサルティングを始めてから、アムステルダムに家を探しに来るまでの9ヶ月間は、私にとって「自分の経験を事業として形にする」時間でした。
その過程は、すぐに順風満帆だったわけではありません。
特に入会から数ヶ月が経った11月・12月頃は、日々進化していく実感がある一方で、乗り越えなければならないことも多かった。しんどいなって思うときもありました。うまくいかない日、自分の見方が定まらない日、「本当に自分にできるのだろうか」と迷う夜があった。
そんなときに私を支えてくれたのが、土居さんの言葉でした。
「大丈夫です。絶対大丈夫ですから」と支えてくださるので、今ここにいるっていう感じです。その言葉が、私の心が折れることを防いでくれました。背中を支えながら押してくれる、その存在が本当に心強かった。
土居さんは私のことを「元々の強さがあった上で1本ずつ乗り越えてきた」と表現してくれました。困難があるたびに立ち上がってくる強さが私にはあったと。その言葉をもらえたことも、自信につながっていきました。その強さと、土居さんのサポートが組み合わさって、9ヶ月という時間に密度のある積み重ねが生まれました。
振り返って一番伝えたいのは、何をやる上でも大事なことは目先ではなく長く続けることだということです。9ヶ月というと短いように聞こえますが、その中には確実に「続けていく覚悟」がありました。
9ヶ月で何が変わったか
私が土居さんのコンサルティングを通じて得たのは、大きく次の3つです。
① 「花の経験が事業になる」という確信
② 日蘭条約を活用したビザ設計の具体的な見通し
③ 「自分にもできる」という自信
この3つが揃ったときに、アムステルダム移住は「夢」から「計画」に変わりました。
夫も、この方向性を理解してくれていました。元々スイスに住んでいた経験があり、ヨーロッパ生活への抵抗がなかった。家族でアムステルダムに住むという目標は、夫婦で共有していたものでした。
急いで結果を出すのではなく、きちんと設計して継続していく。その姿勢が、9ヶ月という時間を実のあるものにしたのです。
ゆっくり積み上げていく者だけが、本当の意味でヨーロッパに根を下ろすことができる。
短期間で一気に何かを変えようとする道ではありません。土居さんが常に言っていることですが、急成長を狙う道は長く続かない。地道に、でも確実に、自分の事業と生活の基盤を作っていく。私の9ヶ月は、その積み重ねの時間でした。
5. 家族でアムステルダムへ渡るまで

2025年5月、私は家族でアムステルダムに渡り、現地で家探しを始めています。
入会が2024年8月。そこから約9ヶ月。数字だけ見ると短いように聞こえますが、その9ヶ月間に積み上げてきたものは、軽いものではありません。
アムステルダム移住を形にする上で、日蘭条約が果たしている役割は大きいと言えます。
日蘭条約は、日本人がオランダで個人事業主として活動する際に使えるルートです。「オランダで花を勉強した経験がある」「フラワーアーティストとして事業を持っている」という私の背景が、この条約を活用する根拠になりました。日蘭条約の存在は元々知っていたけれど「自分にできるか自信がなかった」私が、9ヶ月の積み重ねの末に「自分でもいける」という確信を持って移住に臨めた。それが最も大きな変化でした。
ヨーロッパに住むのなんて選ばれし者みたいなイメージがあったのを、土居さんが開いてくれた。「選ばれし者」という思い込みを崩してもらって、「自分でもいける」と思えるようになった。それが私のアムステルダム移住における、最も大きな転換点です。
アムステルダムで家を探しながら、めちゃめちゃ楽しいと感じています。大変なこともある。慣れないこともある。でも「ここにいる」という実感が、すべてを超えていく。
夫も、数ヶ月後に合流する予定です。「3ヶ月後に家族みんなでお家に行こう」と話しています。家族全員でアムステルダムに根を下ろす未来が、具体的なスケジュールとして見え始めています。
土居さんが語る移住の理想は「長期的に、継続的に、ヨーロッパに在れる環境を整えること」です。行くことは目標の一つですが、行ってからどう続けていくかが本当の勝負。最初から永住権までを設計する。私がアムステルダムで事業を続けていくことが、その先の永住権への道につながっていきます。
※日蘭条約を活用したビザの取得要件・手続きは個々の状況によって異なります。最新・正確な情報はオランダ大使館や専門家(移住コンサルタント・弁護士等)へご確認ください。
6. 腐らずに続けることが一番大事

私の体験を通じて伝えたいことを、3つの視点でまとめます。
学び①|転勤でなく、自分の事業で移住する道がある
私が最初に抱えていた思い込みは「海外移住は会社の転勤でしか行けない」というものでした。でも実際にアムステルダム移住を実現したのは、夫の転勤ではなく、私自身が事業を持ったことによって、です。
会社員のまま場所の自由を手に入れることは、構造的に難しい。組織に属している以上、どこに行くかは会社が決める。しかし自分で事業を持てば、住む場所を自分で選べる。
雇用されたままでは、場所の自由は会社に預けたままです。自分に属する自由を手に入れるには、自分で稼ぐ力を持つしかない。
私にとって、それはフラワーアーティストとしての専門性を事業として整えることでした。海外移住のために何か新しいスキルを一から学んだのではありません。すでに持っていたものを、事業として形にする。その発想の転換が、アムステルダム移住への道を開きました。
学び②|好きなことを事業の核にしていい
私がオランダを選んだのは、税率でも物価でもありませんでした。花の国への憧れ、現地で花を学んだ記憶、「ここに住みたい」という純粋な気持ちです。
土居さんが繰り返す言葉に「心が喜ぶ国を選べ」というものがあります。節税や生活費で国を選ぶのではなく、自分がそこにいて豊かだと感じられる国を選ぶこと。私のアムステルダム移住は、この考え方の体現です。
そして「好きなこと(花の仕事)」が事業の核になっている。「好きなことは事業にならない」という思い込みも、私は覆すことができました。フラワーアーティストとしての経験が、日蘭条約を通じた移住のビザの根拠になり、現地での事業の柱になる。
好きな仕事を持ち、好きな国に住む。それは「選ばれし者」のためのものではない。
学び③|腐らずに続けることが一番大事
9ヶ月という時間の中で、私は何度も踏ん張る局面がありました。しんどいなって思うときもある。進んでいく道は平坦ではありませんでした。
私がアムステルダム移住を実現できた理由を一言で表すなら、「腐らずに続けた」ことです。これから移住を目指す方へのメッセージとして、伝えたいことがあります。
腐らずに続けることが一番大事だなと思っていて、人間目先のことに囚われがちだと思うんですけど、そうではなくてきちんと前を向いて続けていけば進んでいけるかなっていう風に思っています。
目先の結果に囚われない。長く続けることに価値を置く。土居さんが「成長スピードを早めすぎると絶対潰れる」と言い続けているのと同じ方向の言葉です。
アムステルダム移住は、9ヶ月という時間の中で積み上げたものが実を結んだ結果です。急いで結果を出そうとするのではなく、自分の事業を一歩ずつ整えながら、目標に向かって続けていく。その積み重ねが、アムステルダムという街に家族で住む未来を現実にしました。
まとめ|アムステルダム移住を考えている方へ
私のアムステルダム移住の体験から伝えたいことを、最後に3点でまとめます。
学び① 転勤でなく、自分の事業で移住する道がある。フラワーアーティストとしての専門性が日蘭条約を通じたビザの根拠になり、アムステルダム移住を実現できた。
学び② 好きなことを事業の核にしていい。心が喜ぶ国を選んで、自分がすでに持っているものを事業として形にすることが、移住の土台になる。
学び③ 腐らずに続けることが一番大事。目先の結果に囚われず、長く続けることに価値を置く。その積み重ねがアムステルダム移住という大きな変化を実現した。
私の体験は、「海外移住は転勤でしか行けない」という思い込みを覆した実話です。アムステルダム移住を考えている方、「好きなことで事業を作れるのか」と悩んでいる方へ。まず「自分の中に何があるか」から始めてみてください。チャンスの目は、すでにあなたの経験の中にあるかもしれません。
海外移住を「いつか」で終わらせないために。
ヨーロッパで開催した勉強会の特別講義を、公式LINEで公開しています。
180分超の特別講義・動画集・ロードマップ資料で
海外で継続的に収益を作る方法
後悔しない移住先の選び方
ビザ戦略
を解説しています。
海外移住や場所に縛られない生き方を実現したい方は、
公式LINEから無料で受け取ってください。













