海外移住を進めていくと、多くの人がある問いにぶつかる。個人事業のままでいいのか、それとも法人を作った方がいいのか、という問いだ。
この判断は税率の話だけにとどまらない。ビザの取得可否や、事業が大きくなったときのリスク管理にも直結する経営判断になる。本記事では、法人化の考え方と実際の税率比較をもとに、法人化のタイミングと判断基準を整理する。
なお、税金や法人設立に関する制度は国や時期によって変わる。本記事の数値は執筆時点の情報であり、実際に手続きを進める際は必ず税理士・会計士等の専門家に最新情報を確認してほしい。
本記事は一般的な情報提供を目的としており、個別の税務・法務アドバイスを行うものではありません。法人設立や税務に関する具体的な判断は、必ず税理士・弁護士等の専門家にご相談ください。
1. なぜ海外移住者に法人化が重要なのか

ビザ取得と法人の関係
海外移住において、法人の有無はビザ取得の選択肢を大きく左右する。とくに英語圏の主要国では、就労ビザや起業ビザの取得に法人設立が実質的な前提条件になっているケースが多い。
イギリスのように、法人がなければビザ申請の土台にすら立てない国もある。
一方で、オランダの個人事業主ビザや、ポルトガルのD7ビザのように、法人を作らなくても取得できるビザも存在する。ただし、いずれの場合も長期的に現地に留まり事業を拡大していくのであれば、いずれ法人に切り替える必要が出てくるのが実情だ。
国によって要件は異なるが、法人があることでビザの選択肢が広がるという点は共通している。法人化は税金対策である以前に、合法的に海外に住み続けるための土台という側面がある。
税金のコントロールという武器
個人事業の税金は、稼げば稼ぐほど税率が上がる累進課税の仕組みだ。一方、法人税は基本的に定率課税であり、利益がいくら増えても税率はほぼ一定になる。この差が大きくなるポイントが、いわゆる「法人化の分岐点」である。
税率をコントロールできるということは、事業の手残りをコントロールできるということでもある。手残りの差は、そのまま事業への再投資余力の差になり、成長スピードの差につながっていく。
ただし、ここで誤解してはいけないことがある。法人化の目的は「節税」そのものではないという点だ。税率が低い国を探して移住先を選ぶような発想は、最も避けてほしいと考えている。法人化はあくまで、事業を健全に成長させるための構造設計の一つとして位置づけるべきものだ。
2. 個人事業 vs 法人|税率を比較する

日本の個人事業主の税率(最高約55%)
日本の個人事業主が負担する税金は、所得税、住民税、復興特別所得税を合わせたものになる。所得が上がるほど税率区分も上がっていく累進課税のため、最高税率は所得税45%、住民税10%、復興特別所得税0.945%を合わせて、およそ55.9%に達する。
実際に、この税率のインパクトは大きい。
1億円の課税所得があった場合、5,000万円以上が税金として持っていかれる計算になる。
一定以上の所得になると、稼いだ分の半分以上を税金として納めることになる。これは「稼ぐモチベーションが下がる」という構造的な問題を生みやすい水準でもある。
以下は、課税所得金額別のおおよその実効税率(所得税+住民税)の目安である。各種控除を考慮しない簡易的な目安であり、実際の税額は個々の事情によって異なる。
| 課税所得金額の目安 | 実効税率(所得税+住民税)の目安 |
|---|---|
| 330万円以下 | 約20% |
| 695万円以下 | 約30% |
| 900万円以下 | 約33% |
| 1,800万円以下 | 約43% |
| 1,800万円超〜4,000万円以下 | 約50% |
| 4,000万円超 | 約55.9%(最高税率) |
※税率は制度改正により変動する。最新の税率・控除の詳細は国税庁の公式サイト、または税理士に確認してほしい。
法人税率との差(約23%)
日本の法人税率は、資本金1億円以下の中小法人であれば、所得800万円以下の部分に軽減税率15%、800万円を超える部分に23.2%が適用される(本記事執筆時点の制度に基づく目安)。単純に比較すると、個人の最高税率55.9%に対して、法人税率は半分以下の水準になる。
一般的には、個人事業の所得が900万円〜1,000万円を超えるあたりから、法人税率のほうが有利になり始めるケースが多いといわれる。年収1,000万円を超えている個人事業主であれば、法人化を検討し始めるタイミングに差し掛かっていると考えてよいだろう。
ただし、法人化には設立費用、税理士・会計士への継続的な報酬、社会保険の会社負担分といった新たなコストも発生する。税率の比較だけで判断できるものではなく、事業全体のコスト構造を含めて試算する必要がある。
※法人税率・軽減税率の適用条件は制度改正により変動する。最新の税率は国税庁 法人税の税率等の公式情報、または税理士に確認してほしい。
3. 海外の法人税制を知る

イギリスの税制特例
実際に活用しているのが、イギリス特有の「パーソナルアローワンス」という仕組みだ。イギリスには、一定額までの所得には所得税がかからない非課税枠があり、この枠内であれば個人としての所得税負担はゼロになる。
イギリスの所得税非課税枠(Personal Allowance)は、本記事執筆時点で年間12,570ポンド(1ポンド=約215円換算でおよそ271万円)とされている。この非課税枠を活用し、法人からの給与を年間約300万円に抑えることで、個人の所得税負担をゼロにするという設計が可能になる。
さらに法人側でも、設備投資に対する控除(Annual Investment Allowanceなど)を組み合わせることで、事業の経費構造や資産計上の仕方によっては、年間の利益ベースで数千万円規模まで実質的な税負担を抑えられるケースがあるという。ただし、これは業種や経費構造によって大きく変わるため、一律に「いくらまで非課税」と言い切れるものではない。
こうした非課税枠(アローワンス)の考え方は、日本の税制にはあまりない発想だ。税率の高さそのものより、こうした仕組みの違いを理解しておく価値がある。
※イギリスの税制は毎年見直しが行われる。パーソナルアローワンスの金額や適用条件、各種控除の詳細はHMRC(英国歳入関税庁)の公式情報、または現地の会計士に必ず確認してほしい。
国ごとの法人税率の違い
法人税率は国によって大きく異なる。主な国の法人税率の目安は以下の通りだ。
| 国・地域 | 法人税率の目安 |
|---|---|
| 日本 | 約23.2%(中小法人の軽減税率部分は15%) |
| イギリス | 19%〜25%(利益25万ポンド超で25%、小規模利益税率19%) |
| オランダ | 19%(利益20万ユーロ以下)〜25.8% |
| ポルトガル | 約21% |
| アラブ首長国連邦(ドバイ) | 原則9%(2023年以前は0%) |
| シンガポール | 約17% |
こうして並べると、税率だけを見れば低い国に目が向きやすい。しかし繰り返し伝えたいのは、税率だけで移住先を選ぶべきではないということだ。文化の豊かさ、多様性、住んでいるだけで満たされる感覚といった、税率では測れない価値がある。事業計画を立てる上で各国の税制を把握しておくことは重要だが、それはあくまで判断材料の一つに過ぎない。
※各国の法人税率は制度改正により頻繁に変わる。最新情報は各国の税務当局(日本:国税庁、イギリス:HMRC、オランダ:Belastingdienst、UAE:Ministry of Finance、シンガポール:IRAS等)の公式サイト、または現地の税務専門家に確認してほしい。
4. ホールディング会社という選択肢

事業会社と資産運用会社を分ける
事業規模が一定以上に大きくなったとき、選択肢に入ってくるのが「ホールディング会社(持株会社)」という構造だ。実際に、自身の会社もホールディング会社の下に事業会社を配置する形で運営している。
ホールディング会社を頂点に、その下に事業を行う「事業会社」と、利益の一部を移して運用する「資産運用会社」を別々に設立する。なぜ分けるのか。
理由は、リスクを分離できるからだ。
事業会社と資産会社を切り分けておくことで、万一事業がうまくいかなくなった場合でも資産会社は影響を受けにくくなる。事業を売却する場面でも、事業会社だけを売って資産会社は手元に残すといった柔軟な判断が可能になる。
ただし、これは事業規模が数千万円〜億単位に達した段階で検討する話であり、法人化したばかりの初期段階で優先すべきことではない。
配当課税を活用する(約20%)
事業会社で得た利益を、配当としてホールディング会社や個人に移す際に使われるのが配当課税の仕組みだ。日本の場合、配当にかかる税率はおおむね20%前後とされている(所得税・住民税を合わせた申告分離課税を選択した場合の目安)。
法人税約23%で利益に課税し、その後配当として個人に移す際に約20%の配当課税がかかる。この二段階の仕組みを組み合わせると、個人事業の最高税率55.9%と比較して、同じ利益でも手残りが大きく変わってくるケースがある。
配当課税をはじめとするさまざまな税の仕組みを活用することで、個人にお金を落とす際の負担を圧縮できる余地が生まれるということだ。
ただし、これはあくまで事業が一定規模以上に育った段階での話だ。法人化したばかりの個人起業家が最初から目指すべきステップではなく、事業が成長していく過程で選択肢として視野に入れておくべきものと捉えるのが適切だろう。
※配当課税の税率・仕組みは所得の種類や申告方法によって異なる。最新の制度は国税庁、または税理士に確認してほしい。
5. 法人化のタイミング|3つの判断基準

税率の分岐点に達したとき
一般的には、個人事業の所得が900万円〜1,000万円を超えるあたりが、法人化を検討し始める一つの目安とされる。この水準を超えると、法人税と役員報酬を組み合わせた場合のほうが手残りが多くなるケースが増えてくるためだ。
ただし、これはあくまで目安に過ぎない。経費構造、家族構成、社会保険の加入状況など個別の事情によって最適なタイミングは変わる。実際に法人化を検討する際は、必ず税理士に個別の試算を依頼してほしい。
ビザ取得に法人が必要なとき
目的の国のビザ要件が法人設立を条件にしている場合は、収益の多寡にかかわらず法人化のタイミングが先に来る。イギリスの就労ビザ・起業ビザのように、法人がなければそもそも申請の土台に立てないケースがあるためだ。
この場合の法人化は「税金対策としての法人化」ではなく「合法的に住み続けるための法人化」であり、判断基準そのものが異なる。ビザ要件を先に確認したうえで、必要であれば収益規模に関わらず法人設立を進める必要がある。
リスク分離が必要なとき
事業規模が大きくなり、万一の事業トラブルや負債が発生した際に個人資産まで巻き込まれるリスクが看過できなくなったタイミングも、法人化を検討すべき合図だ。
法人は基本的に有限責任であり、個人の資産と事業の資産を法的に分離できる。海外で事業を続けていく以上、こうしたリスク管理の観点は、税率の話以上に重要になってくる場面もある。
まとめ
海外移住者にとって、法人化は単なる「節税」の手段ではない。ビザ取得の土台になり、事業と個人資産を切り分けるリスク管理にもなる、事業を健全に成長させるための構造設計の一つだ。
個人事業の最高税率が約55.9%であるのに対し、法人税は約23%前後。所得が900万円を超えてきたあたりが、法人化を検討し始める一つの目安になる。さらに事業が億単位の規模に育ったときには、ホールディング会社を作り、事業会社と資産運用会社を分けるという選択肢も視野に入ってくる。
法人化は、事業を健全に成長させるための構造設計だ。タイミングを見極め、必ず専門家と相談しながら進めてほしい。
本記事は一般的な情報提供を目的としており、個別の税務・法務アドバイスを行うものではありません。法人設立や税務に関する具体的な判断は、必ず税理士・弁護士等の専門家にご相談ください。記載の税率・制度は執筆時点(2026年8月)の情報であり、その後の制度改正により変更されている可能性があります。
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