イギリス移住は、日本人にとってハードルが高い国のひとつです。英語圏でありながら、就労ビザの取得要件は年々厳しくなり、「行きたいけれど、さすがに難しいのでは」と諦めかけている方も少なくないのではないでしょうか。当メディアでは、実際にイギリス移住を実現した方々の一次体験をもとに、その現実と可能性をお伝えしています。
今回は、岩手で歯科医院を経営しながら20年間イギリスへの夢を温め続け、50代でスポンサーシップライセンスを取得してロンドンで歯科開業を実現した松浦さんの体験記をまとめました。「50代では遅すぎる」「子育てや介護があるから無理」と思い込んでいた方に、特に読んでいただきたいと思います。
今回の体験者
松浦さん
岩手で歯科医院を経営しながら、2004〜2005年のUCL(ロンドン大学)留学以来20年間イギリスへの夢を温め続けた。3人の子育てと母親の介護を経て、50代でロンドンへの移住を決意。スポンサーシップライセンスという「雇う側に回る」ルートを選び、ビザ取得から歯科開業までの長い道のりをひとつひとつ乗り越え、現在はロンドンのクリニックで週に数日患者さんを診ている。
私は岩手で歯科医院を営む50代の歯科医師です。いまロンドンのクリニックで週に数日、患者さんを診ています。
20年かかりました。「行けたら」と思い続けた日々から、いまのここまで。子育て、介護、50代という年齢、「さすがに無謀ですかね」と自分でも疑いながら、それでも踏み出した話を書きます。
移住先として選んだのはイギリス、ロンドンです。スポンサーシップライセンスという聞き慣れないビザの仕組みを使いました。もし「50代でイギリス移住なんて」と思っているなら、この体験がそのイメージを少し変えるかもしれません。
目次
1. 母が教えてくれた「イギリスという夢」

イギリスへの憧れは、母から受け継いだものです。
母は英語の教師でした。子どもの頃からイギリスの話をよく聞かせてくれて、「いつかイギリスに行きなさい」と言い続けてくれた人でした。その言葉が、いつの間にか私の中に深く根付いていました。
2004年から2005年にかけて、UCL(ロンドン大学)の大学院生として1年ほどロンドンに滞在したことがあります。小さな子どもを連れての留学でした。ロンドンの自由な空気、多様な人々、文化の厚み。あの頃の体験が、ずっと記憶の底に残っていました。
帰国の日、タクシーの中で大泣きしました。見送りに来てくれた友人たちに別れを告げながら、「下の子が大学に入ったら、またロンドンに戻ってこよう」と誓いを胸に刻んだ。あの日の誓いが、20年という時間をかけてじわじわと動き始めることになります。
その後、40代になった頃、イギリスの歯科国家試験(ORE: Overseas Registration Examination)にチャレンジしました。日本の歯科国家試験とはまったく異なる体系で出題される難関試験です。英語での勉強、別の制度・用語・基準への対応。「本当に受かるのか」と何度も迷いながら勉強しましたが、それを乗り越えたことで、歯科医師としての自分が大きく更新された感覚がありました。
何十年も前に日本で国家試験を受けた時とは比にならないくらい、イギリスで勉強した知識が臨床に役立っています。イギリスへの足がかりを残しておきたいという気持ちと、歯科医師として新たに学び直したいという気持ち。その両方が、ORE試験への挑戦を支えていました。
合格しても、すぐにイギリスへ渡ろうとは思っていませんでした。「可能性を残しておきたい」という段階でした。子育ての真っ只中でしたし、いつかと思いながら、現実はまだそこまで追いついていなかった。
※英国歯科国家試験(ORE)の要件・内容・受験資格は変更されることがあります。最新情報は General Dental Council(GDC) 等公式サイトでご確認ください。
2. 20年間動かせなかった理由

夢を持ちながら、20年間動けなかった。なぜか。
一つ目は、子育てでした。末の子が2025年に大学に入るまで、3人の子どもの手が離れていなかった。「この年を目標にしている」とぼんやり思いながら、でも現実は目の前のことに追われる日々でした。
二つ目は、母親のことでした。英語の先生でイギリスに憧れ、私の留学についてきてくれたほど教育熱心だった母が、年を重ねるにつれて弱っていきました。
イギリス行きを母のせいで止めたとは思ってほしくないのです。母の影響が大きかったからこそ、弱っていく母を見ながら動けなかった。ずっとケアのことを気にしていました。「こんな母を置いてひどい娘でしょうか」と、相談した人に打ち明けたこともあります。そのたびに「今はいろんな方法があるから。絶対やってください」と言われても、心のどこかに引っかかりがありました。
三つ目は、50代という年齢そのものでした。「今さら」という言葉が、頭の中を何度もよぎりました。これだけのリスクを取って、うまくいかなかったら。同世代の人たちがそれぞれの場所に根を張っている中で、50代で海外に飛び出す。この年代ならではのためらいは、実際にありました。
「こんな夢に誰が付き合ってくれるんですか」と、繰り返し口にしていました。
ただ、あとから振り返ると、その「動けなかった時間」がむしろ準備期間だったと思っています。40代でORE試験に合格していたこと、岩手のクリニックを安定させてきたこと、子育てがひと段落したこと。それらが重なって、50代の今だからこそ動けるタイミングが来た、と感じています。
「若いうちに動けばよかった」という後悔より、「今だからできた」という実感の方が大きい。今だからこそできたことがいっぱいある。20年間の蓄積があったからこそ踏み出せた一歩でした。
50代は「もう遅い」のではなく、「今だからできる」のかもしれません。子育て卒業・クリニックの安定・人生経験の蓄積。これらは全て、次のステージへの土台です。
3. 「無謀ですかね」から始まったロードマップ

動き出したきっかけは、Facebookの海外移住グループでした。
そこに土居さんの投稿を見かけ、「面白そうな方だな」と思ってメッセージを送りました。当時の私は、行けるのかどうかもわからないまま、ただ「無謀ですかね」という気持ちを抱えていました。
「無謀ですかね」と、4回ほど繰り返し聞きました。
2024年の2月のことです。その時、土居さんからロードマップを作ってもらいました。「2025年にビザ取って中旬ぐらいに行く」という計画。最初から目標を設定して、そこに向かって逆算していく。この発想が、私には必要でした。
私のケースで選んだのは、スポンサーシップライセンスという仕組みです。
イギリスには、日本にベースのあるビジネスをイギリスに展開する場合に使える「拡張ビザ(Expansion Worker Visa)」のルートがあります。スポンサーシップライセンスとは、外国から労働者を受け入れる雇用主に対してイギリス政府(Home Office)が付与する許可証のようなものです。自分でこの許可証を取得し、自分自身にワークビザを発行する。岩手のクリニックをイギリスに拡張する、という位置づけで申請しました。
自分でスポンサーシップライセンスを取得して、自分自身にワークビザを発行する。不思議に聞こえるかもしれませんが、そうしないとイギリスには来られないのです。
雇われる側ではなく、雇う側に回る。自分がビジネスのオーナーとして動くことが、このルートの前提です。当然、ビジネスとしての実績が問われます。岩手のクリニックがしっかり成長してきたことが、ここで生きてきました。
同時に、マーケティングの問題がありました。ロンドンでクリニックを開けたとして、患者さんをどうやって集めるか。ローカルビジネスなので、マーケティングは特に重要です。あれこれ声をかけてくる業者もあって、大きなお金を払って全部任せてほしいという誘いもありました。
その時、土居さんから言われたことが、今でも指針になっています。
「マーケティングは自分の足でやってください。自分の言葉で語ってください。人にやってもらうものではないです」。そう、はっきりと言われました。
自分の手で、自分の言葉で発信していく。その言葉が、今も迷った時の拠り所です。
※スポンサーシップライセンス・拡張ビザ(Expansion Worker Visa)等の要件は変更されることがあります。最新情報は UK Visas and Immigration(Home Office) 等公式サイトや専門家へご確認ください。
POINT|「雇う側に回る」という発想
雇われる側のビザを狙うのではなく、自分のビジネスを持ち込み、雇う側の立場でイギリスに来る。これがスポンサーシップライセンスの本質です。既に日本でビジネスを持っている人にとって、一つの現実的なルートになります。
4. スポンサーシップライセンス取得と予想外の試練

2025年の4月、正式にスポンサーシップライセンスの申請をしました。
6月には降りてくる予定でした。でも、それがなかなか来なかった。
延長、また延長。「いつ頃になりますか」と問い合わせを入れても、「一切質問は受け付けません」という返答が来るだけでした。期限もわからない、問い合わせもできない。その状態が続きました。
本当に厳しかった。いつまで待てば良いのかも教えてもらえない。イギリスの入管当局の対応は、日本の感覚からすると想像以上に冷淡でした。
その間に、Home Officeからインタビューもありました。「こんなことを聞かれるから準備しておいてください」という模擬練習もあったのですが、実際のインタビューでは想定外の質問ばかり。2時間にわたって、英語で矢継ぎ早に問われました。
準備した質問は何も聞かれなかった。準備できていない部分を突かれた。それでも、なんとか答えていくしかありませんでした。「あなたは何をやってきたのか」「なぜイギリスなのか」と、存在意義そのものを問われるようなインタビューでした。
この過程で感じたのは、自分のビジネスの実績と意志を、言葉で説明する力の大切さでした。岩手でどんなクリニックを経営してきたか、なぜロンドンに来るのか、ここで何をしたいのか。それをはっきりと語れることが、審査を通る力になります。逆に言えば、日本でビジネスをきちんと育ててきた人にとって、語るべき材料はすでに手元にあるのです。
ビザが降りたのは、11月でした。
申請から7ヶ月。予定より大幅に遅れて、ようやく許可証を手にしました。その知らせが届いた日のことは、忘れられません。
イギリスに向かう日、新幹線の中で涙が止まりませんでした。その様子をストーリーにあげたら、駅まで見送ってくれた夫が、その後ラーメン屋で泣いていたと後で知りました。
夫は岩手に残ります。それぞれの場所で、それぞれの毎日を続けながら、節目で会う。離れていても心がつながっている。会った時にまた盛り上がれる。それが、夫婦としての今のかたちです。
なぜここまでしてイギリスに行くのか、と問われたら、こう答えます。
燃えるような願望を持つことが一番大事でした。「死ぬ時に後悔したくない」。夫もまた、同じ言葉で背中を押してくれました。「やらなかったら後悔するから、やったらいい」と。
2年前にチャレンジしていなかったら、間違いなく後悔していた。その確信が、ずっと背中を押し続けてくれました。
5. ロンドンで歯科医として生きる日々

ビザが下りてから、ロンドンへ渡りました。
最初に動いたのは、クリニックを借りることでした。週に数日、他のクリニックのスペースを借りて診療する形です。「プラクティスレンタル」と呼ばれる、イギリスでは一般的な働き方のひとつです。
縁あって出会ったクリニックのオーナーは、とてもいい方でした。小さくて綺麗で、可愛らしいクリニックです。
日本で経営してきたクリニックとはまったく違う、小さな空間です。でも、その小ささがいい。
日本での歯科診療は、保険診療の枠組みの中で動きます。費用の上限があり、時間も制限される。それに対してロンドンでは、患者さんと向き合う時間をじっくり取れる。1台の診療台で、1人1人と丁寧に付き合う診療を提供できます。
昔、1台だけの歯科医院で1人1人と向き合って診療したいと言ったことがありました。それが今ロンドンで叶っている。私にとって、ロンドンのこの小さなクリニックは、ずっと心の中にあった診療の原点に立ち戻れる場所でもあります。
旅行者向けの診療も視野に入れています。ロンドンには世界中から人が集まります。日本人旅行者が歯の痛みに困ったとき、日本語で安心して診てもらえる場所がある。そういう存在になれたら、という思いがあります。日本の保険診療の枠組みから離れ、患者さん一人一人に丁寧に向き合う診療を提供できる環境は、歯科医師としての理想でもありました。
50代だから遅すぎるということはなかった。今だからできたことが、たくさんありました。
クリニックが安定していたこと、子育てが一段落したこと、ORE試験の知識が医師としての厚みになっていたこと。20年間積み重ねてきたものが、ここにきて全部使えている感覚があります。
マーケティングは、自分の手でやっています。発信を続ける。自分の言葉で伝える。急いで一気に広げようとは思っていません。短期間で一気に大きくしようとする道ではなく、患者さんと丁寧に向き合いながら、ゆっくりと関係を積み上げていく。20年かけてここまで来たように、これからも地道に一歩ずつ積み重ねていく。それが私のペースです。
今だからこそできたことがいっぱいあります。50代は終わりではなく、積み上げてきたものを使い始める季節なのかもしれません。
まとめ|イギリス移住の体験談から学んだこと

岩手から、ロンドンへ。20年かかって、夢が現実になりました。
イギリス移住の難しさは本物です。スポンサーシップライセンスの申請は長く、Home Officeのインタビューは厳しく、ビザが降りるまでの不確かな時間は精神的にも消耗します。それでも、乗り越えた先に、自分の診療室があります。
この体験から、3つの学びをまとめます。
学び①|イギリス移住は逆算のロードマップで動き出す
「2025年にビザを取る」という目標を設定して、そこから逆算して動き始める。漠然とした夢を、年月・手順・ビザの種類に落とし込んでいく。最初から出口(ゴール)を設計することが、動き出す力になります。私のケースでは、20年温めてきた夢がロードマップによって現実の計画に変わりました。
学び②|イギリス移住で「雇う側に回る」という選択肢
雇われる側のビザを探すのではなく、自分のビジネスを持ち込んで雇う側に回る。この発想の転換が、イギリスという難関市場への扉を開きました。既に日本でビジネスを持っている方にとって、スポンサーシップライセンスは現実的なルートとして知っておく価値があります。
学び③|50代のイギリス移住は「今だからできる」
クリニックの実績、子育ての経験、歯科医師としての蓄積。これら全てが、スポンサーシップライセンス取得の土台になっていました。50代は終わりではなく、積み上げてきたものを使い始めるタイミングです。
「50代で動くのは遅すぎる」という思い込みは、一度横に置いてみてください。遅いのではなく、今がそのタイミングかもしれません。
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