憧れの街、パリ。フランス移住やパリ移住に心を惹かれながらも、「本当に自分に住めるのだろうか」「どうやって生活していけばいいのだろう」と、憧れと不安を同時に抱えている方は多いのではないでしょうか。当メディアでは、海外移住を実現した方々の一次体験を通じて、その現実と可能性をお伝えしています。
今回は、パリへのワーホリで挫折を経験しながらも、事業を立ち上げて月100万円を達成し、その後オランダへ移住先を変えた諸橋穂乃佳さんの体験記をまとめました。語学も貯金も人脈もなかった29歳が、どうやって「好きな国で自分の力で生きる」を実現したか。その全ての過程を、本人の言葉で振り返っていただきます。
今回の体験者
諸橋さん
2024年からワーホリでパリに住むも、1年後のビザ期限とともにやむを得ず帰国。しかし帰国後に事業をゼロから立ち上げ、場所に縛られない働き方で月25万円から月100万円超へ、そして月商200万円規模へと事業を伸ばす。現在はオランダに移住し、個人事業主ビザを取得。EU永住権を目指して歩んでいる。
フランス移住に憧れて、ワーホリでパリに渡りました。でもある日、日本に帰ることになって。そしていま、私はオランダにいます。
これは、パリ移住の体験談です。憧れだけで飛び込んで、壁にぶつかって、一度帰国して、それでもやっぱり諦めきれなくて。フランス移住に憧れながらも、後悔だけはしたくない——そんな迷いを抱えている方にこそ、特に読んでほしいと思いながら書きます。
私がパリ移住・フランス移住のリアルと後悔、そして〝国より先に〟手に入れたものを、正直に書きます。
目次
パリ移住に憧れた私はどんな人間だったか|スキルも貯金もなかった29歳

私がパリ移住に憧れたのは、いつからか自分でもはっきり分からないくらい、ふわっとした気持ちからでした。
デザインやアートが好きで、「パリに行ってみたい」という気持ちだけがずっとあって。ただ一人で動く勇気がなくて、ずっと後回しにしていたんです。背中を押してくれた友人がいて、「こうなったら一人で行っちゃおう」と決めて、初めての一人旅でパリへ。
そこで、何かが変わりました。
パリのテラスで人がにぎわっている光景、オスマン式建築が立ち並ぶ古き良き街並み、情緒のある感じ。10日間のつもりが、もう離れられなくなってしまったんです。当時はまだお金もなかったので、節約しながらホームステイサービスを利用していました。フランス人家族の家に泊めてもらって、ホストにすごくよくしてもらって、周りに知り合いもできて。とにかく楽しすぎて、まさかの滞在延長をしてしまいました。
ビザがない状態でしたが、もっと長くいたいという気持ちが勝っていて。その時点で取れるビザはワーキングホリデービザしかなく、しかも年齢もちょうど29歳で最後のチャンス。「今取っちゃおう」という、正直かなり安易な発想でした。
当時の私は、撮影のアシスタントやフォトグラファーの仕事をしていました。クリエイティブな仕事で、場所にも時間にも縛られる働き方。月の収入は20万〜25万円ほどで、決して余裕のある状態ではありませんでした。
「このままでいいのか」という気持ちはずっとあったけれど、じゃあどうするか、は何も考えていなかった。
そんな私が、2023年10月、29歳ではじめてパリへのワーホリに旅立ちました。
「ここに必ず戻る」と思いながら。
ワーホリで突き当たったフランス移住の壁|3日でクビ・月25万・ビザ切れの絶望

ここからが、フランス移住の現実です。
ワーホリビザでパリに渡ったのは2024年2月。最初の数ヶ月は本当に楽しくて、毎日散歩するだけで幸せでした。好きなエリア(マレ地区)をぶらぶらして、パン屋さんでクロワッサンを買って、セーヌ川でパンを食べながら友達と缶ビールを飲む。そんな小さなことなんですけど、舞台がパリっていうだけで、毎日が特別でした。
でも、貯金が削られ始めてから、現実が変わっていきました。
そろそろ働かなきゃ、とワーホリビザを持っているので現地のアルバイトに応募し始めました。ただのアルバイトすら通らない、なんて経験、それまで一度もなかったんです。びっくりして。やっと雇ってくれたところに行ったら、まさかの3日でクビになってしまいました。
その時の衝撃を、いまもよく覚えています。語学ができないというだけで、それまで自分が積み上げてきたことが全部リセットされてしまう。本当に簡単なアルバイトすらままならない。そのことに、ものすごくショックを受けました。自己肯定感も、どんどん下がっていきました。
その後ご縁があって長く雇ってくれたレストランもありましたが、飲食店の経験は少なかったし、自分に合っていない仕事でした。でも、こっちでユーロで稼ぐにはそれしか道が残されていなくて、かなり辛かったですね。
後半は、ほぼ仕事ばかりしていました。アルバイトを複数掛け持ちして、夜遅くまでのシフトもあって、寝る時間がどんどん削られていった。一回、寝不足で階段から落ちるくらいまで働いた時期があって。それでも全然な金額で、日本円で25万円ぐらいでした。
さらに追い打ちをかけたのが、周囲との差でした。
パリで知り合った駐在員の方々は、みんな東大・京大出身で、名だたる企業の駐在員でした。ものすごいハイレベル。私にはそんなキャリアも学歴もなくて、上位1%の人たちと枠を取り合うなんて、絶対難しいだろうと思いました。雇用を狙うことも、語学を身につけて再挑戦することも、現実的にはどちらも壁が高すぎた。
ビザの期限が近づいていました。ワーホリビザは一度きりで、その先につながらないビザです。次の在留資格には、現地での雇用か、一定の資金証明(貯金額の証明)が問われます。私のケースでは、どちらも難しい状況でした。
※フランスの在留資格・ビザ要件は時期や状況により異なります。最新・正確な要件は France-Visas 等公式サイトや専門家へご確認ください。
タイムリミットが来てしまいました。
帰りたくなかった。でも、帰るしかなかった。
日本に着いた3日後には、もうパリに戻りたくてたまりませんでした。それぐらい、悔しかったんです。
転機=発想の転換|「雇用ではなく事業」「まずは日本でいい」

パリ移住を諦めかけた私に、転機が訪れます。
帰国後、「お金って、経済力って、本当に大事なんだな」と心の底から思いました。でも、じゃあどうやってそれを手に入れるのか。現地雇用は難しかった。語学学校はお金がかかる。フォトグラファーとしてパリで撮影できる会社にアプローチしてみたけれど、それも雇用を狙うアプローチで、また同じ壁にぶつかった。
そんな時に、たまたまSNSで土居さんを見つけたんです。
衝撃を受けた発信がありました。
「移住したいなら雇用を狙うんじゃなくて、まずは自分の事業で、自分の力で稼ぐ力を身につけることが移住への最短ルート」
それまでの私には、現地雇用か語学学校か、という選択肢しか見えていませんでした。「事業をつくる」という発想が、頭の中に全くなかったんです。
しかも、「じゃあ現地で海外の会社に営業しないといけないんでしょ。語学ないし無理だな」と思って相談しに行ったら、「全然、まずは日本でいい。日本のマーケットに対しての事業でいい」と言われて。
その時の感覚は、いまでもよく覚えています。まるで隕石が降ってきたような、それくらい衝撃的な発想の転換でした。
住む場所と、稼ぐ場所を切り離す。
それが当たり前じゃないかと思うかもしれないけれど、当時の私にはまったく思いついていなかった発想でした。「場所に縛られない仕事をつくれば、どこにいても生きていける」という考え方。これが、私の人生を変えた最初の一歩でした。
2025年3月から、土居さんにコンサルティングをお願いしました。そこで初めて触れたのがマーケティング。なかでもファネル構築(UTAGEというウェブマーケティングツール)のスキルです。「UTAGE?何それ?」という状態でした。それまでまったく知らなかった言葉でした。
POINT|順序が全て
移住に必要なのは、語学でも現地コネでもなく、「どこにいても稼げる自分」を先につくること。住む場所と稼ぐ場所は切り離せる。この順序を変えるだけで、移住の可能性は大きく変わります。
ここで少し補足を。
UTAGE(ウタゲ)とは、ウェブマーケティングのツールで、SNSや広告から集客した人を、LINEやメールマガジンを通じて商品・サービスの購入まで導く「ファネル(集客動線)」を構築できるシステムです。事業者の裏方に入って、その人のビジネスを売上につなげる仕組みを作る仕事、というイメージです。
事業の方向性を整理してもらったのが最初のセッションでした。過去のキャリアも、やってきたことも、全部棚卸しした上で、「UTAGEの構築スキルをスキル販売で始めるのがいい」という方向性が見えてきた。
「これで本当にいいのか」という不安はありました。でも、まずスキルマーケット(クラウドワークス等)にプロフィールを登録して、「このスキルをこの金額で提供します」と出してみたら、問い合わせが来たんです。需要があることを実感した瞬間でした。
それでも立ちはだかった壁|中途半端の沼とメンタルブロック

ここはパリ移住の体験談として、いちばん正直に書きたいところです。
転機が来たからといって、すぐにうまくいったわけじゃありませんでした。
パリに戻ってからも、撮影アシスタントの仕事はまだ続けていました。生活費は稼がなきゃいけないし、すぐに辞める勇気もなかった。それにUTAGEだけじゃなく、他にもいくつかのことに同時に手をつけてしまっていました。
UTAGEと、それ以外のいくつか。気づけば全部が中途半端で、自分でも危ういと感じていました。あのまま進んでいたら、本当に迷走していたと思います。
その頃の自分を振り返ると、本当に気が散り散りになっていたと思います。事業も、アシスタントも、それ以外のことも、全部が50%にも届かないくらい。何一つ、深くできていなかった。
5月頃、土居さんから「今はUTAGE事業に集中すべき」と言われました。
一つに絞ることの怖さは、正直ありました。「他のものを手放したら、収入が落ちるかもしれない」「これ一本でほんとに大丈夫か」という不安。でも、その怖さを乗り越えて集中したら、初めて前に進めた感覚がありました。
もう一つの壁は、メンタルブロックでした。
過去にブログを書いてコンテンツを販売しようとして、ことごとくうまくいかなかった経験。その記憶が「どうせまた売れない」「また失敗するかもしれない」という感覚として残っていて、新しいことに踏み出すのに時間がかかりました。
ただ、スキル販売(クライアントワーク)という方向性は、コンテンツ販売とは根本的に違う仕事の仕方でした。自分で講座を作って集客するのではなく、スキルマーケットに登録してクライアントの裏方に入る仕事。自分を売り込むのではなく、スキルを提供する。その違いが、メンタルブロックを乗り越えるきっかけになりました。
焦りや不安でいろんなことに手を出したくなる時期は、誰にでも来ます。そのタイミングで「一つに絞る」という選択ができるかどうかが、その後を大きく分けます。
パリ移住で月25万→月100万、そして月商200万・オランダへ|EU永住権までの設計

ここからが、パリ移住のその後の話です。
2025年7月、月商100万円を達成しました。ワーホリ時代、ユーロで必死に働いて月25万円だった私が、住む場所に縛られない事業で、その額に届いた瞬間でした。
この変化の一番大きな要因は、仕事の中身が変わったことでした。最初は「言われた通りに構築して納品する」という仕事だったのが、だんだんとクライアントのビジネス全体を一緒に考えるようになっていった。「このファネルにはこういう戦略が必要です」「次はこの広告を試してみましょう」と、提案する側になっていった。そうなると、一つひとつの契約の単価が上がり、継続の関係になっていくんです。
あるクライアントの広告については、広告費30万円に対して成約が450万円規模というROAS15倍の結果も出ました。「言われたことをやる人」から「マーケティング戦略を一緒に考える人」に変わることで、数字がついてくるようになりました。
「ここに必ず戻る」と誓った街に、今度は、稼ぐ力を持って住むことができているという状況。この時の達成感は、言葉にするのが難しいほどでした。
でも、ビザのことを考えるたびに胃が痛くなる、という状況は続いていました。
フランスは在留資格のルートが複雑で、4年ビザを取得した後は10年ビザに挑戦できますが、それでも永住権とは別の話です。「長くヨーロッパにいたい」という目標を考えた時に、フランスだけでは、先が見通せなかった。
そんな時、オランダのクライアントとご縁がありました。その方はアムステルダムに住んでいたんです。訪ねに行ってみたら、アムステルダムはとてもきれいな場所で。
そのクライアントから、個人事業主ビザの話を聞きました。オランダは個人事業主として在留できるビザ制度があり、5年間合法的に滞在すると永住権に挑戦できます。さらにEUの長期居住権にも5年で挑戦できる。
「5年でいい。5年ここにいれば、永住権が目指せる」という発想が生まれた瞬間でした。
※オランダの個人事業主ビザ・永住権の要件は私のケースに基づくものです。要件は変わることがありますので、最新情報は IND(オランダ移民局) 等公式サイトや専門家へご確認ください。
2025年12月中旬にオランダへ入国しました。
オランダには「家探しゲーム」という言葉があるくらい、住宅不足が深刻です。パリから遠隔で物件を探し続けていましたが、「遠隔では難しい」と気づいて、一旦エアビーを借りてオランダに移動してしまいました。現地にいれば「明日内見行けます」「今日でも行けます」と言えるので、格段に確率が上がりました。
2026年1月1日に住所を取得し、2026年3月に滞在許可証を受け取りました。個人事業主として在留するために必要な事業投資は4,500ユーロ。私のケースでは、円安の影響もあり約80万円でした。
いまはクライアントを並走しながら、問い合わせに対応しきれないほどの状態になっています。事業はその後も積み上がり続け、月商200万円規模に届くところまで来ました。ワーホリで月25万円、3日でクビになっていたあの頃の自分からは、想像もできなかった景色です。それでも、急いで一気に伸ばそうとは思っていません。土台を固めながら、ゆっくり積み上げていきたいと思っています。
フランス移住の体験談から学んだこと|稼ぐ力が先、国は後。本当の自由とは

私のフランス移住・パリ移住の体験談から学んだことを、まとめて書かせてください。
学び①|移住の成否を決めるのは、語学でも国でもない
ワーホリで私は、語学ができないだけで今までのキャリアが全部リセットされる経験をしました。アルバイトですら、3日でクビになった。どんなに「パリが好き」という気持ちが強くても、経済力がなければ、好きな場所に居続けることはできません。
逆に言えば、事業をつくって稼ぐ力を先に手に入れたら、国は後から選び直せる。実際に私はそれをやりました。
語学は、後でいい。稼ぐ力が先です。
学び②|どの国に住むかより、どう働くかが先
人生は「どの国に住むか」で決まるのではなく、「どう働くか」で決まります。
土地に縛られない仕事を持てば、国は後からいくらでも選び直せる。私はパリを、高揚感と感情で選びました。でもオランダは、永住権という合理的な長期設計で選びました。後者の選択ができるようになったのは、事業で稼ぐ力を手に入れた後のことです。
それまでは、選ぶ余裕がなかった。
学び③|本当の自由は、責任を引き受けた先にある
振り返ると、最初の私は「逃げる自由」を求めていたと思います。日本が窮屈に感じる、海外なら何か変わるかもしれない、という気持ち。でも、それだけでは結局どこかで行き詰まりました。
オランダに移住した時は、不思議と高揚感とは違う感覚でした。パリに戻れた時は「やっと戻ってこれた」という高揚感に満ちあふれていましたが、オランダに移住した時は、静かな喜びだったんです。ここからやっと、自分の人生をちゃんと積み上げられるかもしれない、と思えた。それまでは結構、行き当たりばったりだった私の歩みが、計画的に、かつ合法的に5年滞在して永住権を取るという目標のもとに、一本の線になっていく。そういう、内側から湧いてくる静かな喜びでした。
自由に生きるということは、何にも縛られないことではなかった。自分で選んで、責任を持って、積み上げていく。本当の自由は、責任を引き受けた先にあるものでした。
パリという場所への憧れは、消えていません。ただ、「憧れがある」ということと、「そこで生きる力を持つ」ということは、別の話だった。その順序が分かった今は、どこでも生きていける気がしています。
POINT|フランス移住の体験談が伝えること
「フランス移住・パリ移住に憧れてワーホリへ→語学・雇用の壁→帰国→事業構築→パリ再移住→オランダへ」。この順序が証明するのは、稼ぐ力(事業)が先にあれば、国はいつでも選び直せるということ。語学も学歴も関係なく、移住できる自分になれる。
まとめ|フランス移住・パリ移住を考えているあなたへ

フランス移住・パリ移住を考えている方へ、私の体験談から伝えたいことを最後にまとめます。
ワーホリで行って、3日でクビになって、月25万円で働き続けて、ビザが切れて帰国した。あの経験は、失敗じゃなかったと今は思っています。あの壁があったから、「稼ぐ力が先、国は後」という順序に気づけた。
パリ移住のリアルは、語学の壁も、ビザの壁も、経済力の壁も、全部本当にありました。フランス移住で後悔したくない、と慎重になる気持ちは、痛いほど分かります。私自身、そう思って何度も立ち止まったから。
でも、後悔で終わらなくてよかった。
雇用でも語学でもない、「事業をつくる」という発想に出会えたことで、人生の見え方が変わりました。
いまはオランダで、5年後の永住権を見据えながら、事業を育てながら、好きな街で暮らしています。パリの高揚感も、オランダの静かな喜びも、両方を知っている。
あなたにも、自分の力で選んだ場所で生きる経験をしてほしい。そのために、まず「稼ぐ力」を手に入れることを、私は一番に勧めます。
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